2012年3月31日土曜日

騎馬民族の源流 豊田有恒



豊田有恒氏の古代研究?と言って良いだろうか。
ともかく、氏の騎馬民族への憧憬を綴った本です。
氏は、邪馬台国成立に関する小説を発表しています。
「倭王の末裔」「倭の女王・卑弥呼」「親魏倭王・卑弥呼」など。
氏の仮説は以下のようです。
『2世紀から3世紀にかけての朝鮮半島には、扶余族系の騎馬民族が闊歩していた。
それらは、土呉れ(定住する農耕民族)を略奪し、海を越えて北九州にも拠点を構える。
やがて、扶余族はスーパーステート『漢』の国の政策に追われて、朝鮮半島を放棄し北九州の拠点を拡大して、邪馬台国を討ち立て卑弥呼を女王と定めた。』
とまあ、概略このような構想のもとで小説を構築していったのです。
日本の古代は、まだまるでわかっていない状況です。
邪馬台国のことにしても、魏志倭人伝に頼らないと文献として残っていません。
その魏志倭人伝にしても、伝え書きなのです。
このような状況のもとでも、SF小説家の豊田有恒としては、日本の国としての成立を小説として描きたかったのです。
そこで、氏は半島の事情を理解するためにも韓国語が必要だと考え、それを習得しました。
そして、綿密な取材を重ね、上記を『フィクション』として上程したのです。
氏は、続く邪馬台国論争の中で、ここがそうだという比定地を避けています。
小説の中では、必要上このあたりというわかるような書き方をしていますが、自身ではどこどことは答えていません。
邪馬台国論争の無意味さを問うています。
邪馬台国が、どこにあろうが構わず、国際関係(当時の)上での倭の国の位置づけが問題だと静かに言っているように思います。
当時の邪馬台国論者の中で、韓国語が出来る人がいたでしょうか。半島まで取材にいった人がいたでしょうか。
ちなみに氏は、角川の野性号という企画で、当時の船を再現して、半島南端から対馬、壱岐を通り北九州に到ることができることも実地で証明しています。
氏は『邪馬台国ゴロ』のブローカーにしつこく絡まれて、閉口したと言っています。邪馬台国の比定は町おこしの材料として金になるらしいです。
しかし、だからと言って事実を曲げて良いわけがない。
氏はむなしい論争から引いたところに身を置いたようです。

氏のもう一つの興味は蝦夷(えみし)です。
東北地方は桓武天皇の治世まで(平安京遷都)、別の国でした。
それは、蝦夷が支配する国だったのです。
蝦夷とは、成り立ちははっきりしませんが、明らかに狩猟民族としての特徴を備えていました。
これを題材として、
「荒野のフロンティア」「雪原のフロンティア」などを書かれています。
これらは、東北が日本におけるフロンティア(辺境)だったとして西部劇仕立ての活劇となっています。
そして、蝦夷の大酋長「アテルイ」や征夷大将軍「坂上田村麻呂」などを登場させています。
アテルイのことは、歴史史料をあたってもほとんどわかっていません。
アテルイは陸奥の英雄でした。にも関わらず、この郷土の英雄が悪路王と名付けられて山賊のかしらくらいの扱いを受けていることに氏はひどく憤慨しています。
それは、蝦夷の民族文化が和人系日本人によって抹殺されてしまったからであると氏は語ります。

豊田有恒氏は、本当に硬派の作家だと思います。
必要だと思うことは努力を重ねる。そこで生まれてくる作品が光っています。


1994年1月 初版
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1 件のコメント:

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